今日はまだ人生の途中@天極楽 如月
撮影:佐々木 啓太様
2021年の初演から形を変えながら毎年上演してきたフェミキングもついに一旦のゴール。(毎公演で表記が違うのでこのレターではカタカナで統一します)
客演としてオーディションを受けたのも劇団員になったのもフェミキングの初演もぜーんぶ同じ年の出来事なんだけど、今でこそ活動の主軸にフェミニズムがあるトレメンドスも当時はそうではなくて、enさんと魔王のTwitterのプロフィールに「フェミニスト」って書いてあるのを見て「ふーん。フェミニストなんだ…」って思う程度。それがわざわざ稽古場や日常会話の話題に上がることなんてない。だから、"フェミキング"っていうタイトル自体が当時のわたしにはかなり挑戦的で触れてはいけない禁忌に触れる大胆なものに感じてたな。なんせ当時は無理解無勉強アンフェインターネットキッズだったので(最悪)
わたしは初演(2021)、再演(2022)、今回のラストラン(2024)に全てアルシノエ役で出演をしました。ちなみに初演ではアルシノエ絶命からの衣装ヘアメオールチェンジでリヴィア役も演じました。お元気すぎ。(変わりすぎて誰にも気付いてもらえなかった)
トレメンドスの脚本は基本的にenさんの当て書き(その役を演じる俳優をイメージしてセリフなどを書く)なので、細かい違いはもちろんあるけれどアルシノエと初演版リヴィアはフェミニズムを知る前の等身大のわたしそのもの。
周りの人に豪語してたわけではないけど男の人ととにかく遊びまくって、男の人がわたしを欲しがれば欲しがるほどそれがステータスになっていたし、口では「他人ウケより自分ウケ」と言いつつも、チヤホヤもてはやされることでしか自分の価値を感じられなかった。"人の目にどう映ってる?今の私は可愛い?ブスじゃない?デブじゃない?魅力的に見える?好き?手放したくない?こんなにも価値のあるわたしと一緒にいられて幸せ?今目の前にいる相手はわたしのこと、どう思ってる?"そんなことばっかり考えてた。ロリィタは小学生の頃からずっとずっと大好きだったのに、当時は一着も持ってなかったしとにかく男ウケ良さそうな服ばっかり選んで、それを"自分で好んで選んでる"とさえ勘違いしてた。仕事でもプライベートでも毎日(ほぼ、ではなく本当に毎日)度数の強い酒を飲んで酒鬱で号泣することなんてザラ。高校も大学も演劇系だったから一般教養なんて本当にチョロっと触れる程度で何年も稽古・レッスン三昧だったし、学校で扱う演目は、レイプされることがステータス⭐︎な恋愛ものばかり。そんなこんなでフェミニズムに触れる隙も正しく学ぶ隙もなかったし、「平等を謳いながらも結局自分の手で分断を招いている、男に選ばれない可哀想な人たち」と蔑んでた。
こうしてひとつひとつ文字に起こしてみると、他者の目ばかり気にして、自分で選び取ったと思い込みながら、その実男社会で生き抜く上で選ばされたものばかり。ばかりって言うか、それしかなかった。トレメンドスのみんなと共に過ごして、演目の稽古はもちろんフェミニズムやジェンダーに関する本を読んでみんなでディスカッションしたり、実地で活動する方達と実際に会って話したり、自分自身の人生を1から紐解いて「あぁ、あの時のあれっておかしいことだったんだ…」って実感を持って考えなおしてみたり、こうした日常を連続することでようやく「男社会に目隠しをされ、脳死の日々を送らされてきたんだな」って気付くことができた。
ただ。
目覚めた劇団員達が髪を短く切ったり、特別な日以外で化粧をすることをやめたり、男社会に迎合した服を自ら捨てたり、どんどん目に見える形で行動していく中、わたしは前述の通り「気が付くことができただけ」で長い髪でいることも辞めらなければ予定の1時間前に起きて化粧をすることも辞められないし、服だって全然捨てられていない。今身近にいる信頼のおける男以外の全ての男が本当に心の底から嫌いだし、爆破スイッチがあったら迷いもなく押す自信があるぐらい、心では男社会のレールになんて乗っているつもりも媚びているつもりも微塵もなく、自分が心から好きだと思えるものを選んでいるつもりでも、女性差別が蔓延る男社会では目に見える形で行動しないことには、心で思うことなんて何の意味もない。現実に、男をぶん殴ってやる!という意気込みがあって、実際ぶん殴れたはいいものの、もしやり返されたらどうしたって敵わない。気持ちだけどんなに強く持ってても、行動に移さないと意味がない。なんなら行動しても意味がないことすらある。そんなの、わたしが一番わかってるよ。痛いほどに。
アルシノエとクレオパトラのプロレスシーン、クレオパトラがアルシノエに放つセリフ全てが、リアルの自分に言われてるようで本当に苦しくて気が狂いそうだった。"自分がする主体的と思える自由な選択の全てを疑え"うん、疑ったよ。でも疑ったところで、今の姿でいることをあっさり辞められないし、辞めたいと思えないんだ。愚か者だと罵ってくれて構わない。今のわたしには、心と頭で理解することが精一杯なんだ。
撮影:佐々木 啓太様
そんな中で魔王と稽古中にディスカッションしながら生まれたのが、新版ハッピーギャルのラストパート「引き裂かれて辛くても 刻みつけて私たちの真実 今日はまだ人生の途中でしょ 自分を信じて男を憎み続ける たくさん食べてたくさん寝てたくさん遊んで あなた達に望むこと 生きてさえいるなら今日は花丸 だって私たちとまた会えるから」という歌詞。そう。何てったって、今日はまだ人生の途中。分岐点に立っているかもしれないけど、ゴールじゃない。トレメンドスが考えるフェミニズムだって毎年どころか毎月変わるんだから、正解なんてない。何度間違えたっていい。今すぐ答えが出なくたって、行動に移せなくたって、生きてさえいるなら一旦今日のところは花丸。生きてなきゃ、今こうしてああだこうだ考えてることだって意味がなくなる。だから、ちゃんと食べて寝て遊んで、また元気な姿で会おうぜ!っていう、私たちからの精一杯の愛のメッセージ。
つらつら書いてたらとんでもなく長くなっちゃったけど、何が言いたいかっていうと『FEMIKING LAST RUN の配信を見てくれや』ってことです(総評)
2024年5月17日(金)23:59までツイキャスで見ることができるので、このレターを見たあなたは後回しにせず今すぐ見てください。何度も何度も見て何度も何度も考えて行動に移せそうなものは行動に移して、を繰り返してください。
感想は#トレメンドスをつけてあらゆるSNSに載せてくれても劇団や出演者のDMに送ってくれても劇団メールに送ってくれても手紙を書いてくれても、なんだって構いません。あなたからへの愛、お待ちしてます。
HP❤️🔥
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