無駄ァーーーッ!
Ciao!
たまえです🐱
段々日が短くなって、晩夏と秋を感じますね。
秋花粉もいてちょっと辛いです🫠
夏の停滞した時間が好きなんですが、今年の夏は公演続きで充実していたので秒で過ぎていきました。結構アタリの夏曲出てたのに、踊らずに夏が過ぎようとしているので、今必死に取り戻しにかかってます……❤🔥
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この間すっごい久しぶりに、なにもしなくて良い休日があって。
ネトフリで適当にボタン連打してたら流れた「メンタリスト」っていうアメリカのドラマ見ながら、一日中編み物して、前日に買い込んでおいた食糧でご飯作って食べて、眠たくなったら寝て、家から1歩も外に出ない1日を過ごしました。
緩急とか、余白とか、何に関してもすごく大事で。忙しいときがあるから、こういう何もない日が特別に感じて良いなと思う。
「おやつとか無駄なものを楽しめるのが良い」みたいなのを何かで見たことがあって(調べたら葬送のフリーレンだったけど、葬送のフリーレン見たことも読んだこともない)、一見無駄に見えるものを、無駄だと切り捨ててしまうと、余裕とか余白とかが無くなるから、人生を生き急ぐことになっちゃうのかな。だからDIOは失敗したんだろうな~。
その一見無駄なものが全部コーピングになってると思うんですけど、私趣味が多すぎて、どのコーピングをするか、毎日コーピングバイキングを開催してるんですよね。飽きっぽいっていうのも有るんですが、人生でやりたいことに手を出し続けていたら、いつの間にか無駄が溢れ返っていたって感じ?
でもその無駄で雑然とした部屋もまた一興って感じがして好きです🥰
私は元々日本の余白の文化が好きで、和歌とか、日本庭園とか。近代文学の行間はずっとわからんと思ってて、なんかちぎり絵みたいな表現しやがってと思ってたんですが、最近良さをわかりはじめてきました。
でもこの余白の文化を悪用したのが日本のコミュニケーション文化だと思っていて、ノンアサーティブだったりとか、コミュニケーションに行間を読むを持ち込むと厄介ですよね。
演劇も、客席と舞台面とのコミュニケーションだから、その余白をどれだけ埋められるかなんだな、って最近思い始めてきました。
芸術として残しておく余白と、コミュニケーションとして埋めるべき余白の塩梅が難しいです。
とりとめもなく無駄とか余白のことを書いたんですが、最近自分が受験のために必死こいて覚えたものとか、創作のために寝る間を惜しんで蓄えた知識とか、そういうのって生きていくのに実は必須じゃなくて、無くても生きていけるし、寧ろそれがバイアスになることもあるから、本当は無駄だったんじゃないかなって思ってしまうときがあるんです。
なんていうか、育ってきた環境の"普通"のハードルが高すぎて、それを他人に無意識に求めてしまって、後から嫌な気持ちになるっていう……うーん、うまく言えないんですけど、そんな感じ。
これまで「必要」だと思ってたことが、急に「無駄」になってしまったとき、それはそれとして人生を豊かにするためのコーピングみたいに扱えれば良いんですけど、「いやでも必要だったからさァァァ!!!!」っていうモードが顔を出してきちゃう……。
つらつらと先述したことも、本当はこういう風に発想の転換をしたいから。
無駄は無駄として、そのまま愛せる様になりたいね。
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さてさて、昨日『R30-逆リトルブラック』のチケットが発売されました🎉
30歳以上の女性たちにフォーカスした今作ですが、あらすじが黒ずきん大暴れで何事かと思いました。
ちなみに劇団員があらすじ知ったタイミング、皆さんと同じですよ☺
そしてハウスオブトレメンドス『セルフヘルプ・クッキング』
女だけの安心安全な空間で、女同士伴走しながらひとつのゴールに向かってく体験ってなかなか無いから、ちょっと難しく感じるかもだけど、気楽な気持ちで遊びに来てね☺
