【おとこぎらい】#3 番外編、女の命について
長いこと劇団のリーダーをやっていると、感情が突発的に表に出ない。
なんでかって言うと、例えば急病人で公演当日の朝に役者の降板、となった時にまずやらないといけないのは上演をどうするか、で泣くことじゃない。泣いても事態は進まない。
それでもどうしようも、悲しくなることだってある。気持ちの整理がつかないから書かせて欲しい。
今日はとても悲しく辛いことがあった。サラの前にと思って暇を作ってくれた人たちと伊豆に旅行に来ていた。
城ヶ崎海岸の吊り橋を渡っている時、円さんが後ろで「おちた」と言った。
崖の上から人が落ちた。
そこからは忙しく、警察、海保、救急隊にはるの携帯で電話をしながら、わたしのスマホでは本部に送る生配信の撮影。叫んでいる傷病人に声をかけ続けながら、話しながらわたしは段取りを取っていた。
救急隊、ドクターヘリ、警察,海保が要請され、先に現着したのは救急と消防だった。
女性がどうなったかについて、報道はないからあえて書かない。
わたしは、重度訪問介護の仕事をしていたことが一番影響して、緊急時に時間を正確に記録する癖がある。
ものの尺貫を目測で正しく測れるのは、舞台芸術を10年以上やっていたら、こうなる。
何時に入水、高さ何メートル、対岸まで何メートル、〇〇して何分、何分間会話ができてます。等
書けるものしか書いてないけどそれだけじゃない、本当にあらゆることを、傷病者に力を抜けと叫びながら、手元のアップルウォッチをみながら、電話をかけ、映像を映し、必死にできることをやっていた。
ずっと話し続けてた、これから消防くるよ、耐えようね!と声をかけた
安定した私の発声と、自分の声がデカくてよかったと思った
そんなこんなをしていたらさまざま現着して、わたしは事情聴取と橋の上から見ていた分の現場検証。名前を聞かれて、連絡先を聞かれて、
人が入水してから1時間40分後に解放された。
自分の気持ちの整理がついてない、状況をベストにこなしていくことに必死で今でも気持ちが宙ぶらりんだ。でも、思い出そうとすると必ず決まった一つのカットが瞼に焼き付いて離れない。
まだちゃんと泣けていない。ただ怖かった、ずっと手が震えていて指先の血がサーっと引いていく感覚があった。
待ち時間も含めて炎天下に1時間40分だった。しんどかったけど、考えていたのは自分の気持ちの落とし所。
こう言うときに一番動ける人間で良かった。
てんぱらなくて偉かった。
自分が野次馬になって写真を撮るような、浅はかな魂の人間じゃなくて良かった。
私と言うただ声がデカくて、タイムキープができるだけの素人が今、できることはちゃんとやった。やれてた。
あとは私の領域外のこと。だから、いいけど、悲しい時に悲しいと上手く泣きたい。心はキリキリと痛む、思い出すとヒュンとする。それでも、泣きたい時に泣けるようにならないとね。泣いたらもう、止まらなさそうで。
泣くべきだと思う、悲しい自分へ、辛かった怖かった自分への、服喪追悼。
どうか生きていてほしい
また詳しく書くのは後日にします。気持ちの整理に付き合ってくれてありがとう。そんな旅行1日目でした、明日だって、楽しむために生きるぞ。
死にたいと死の実行にはとんでもない隔たりがある、あなたはどうしてそれを超えたの? 生きてたら私と友達になりましょうね
お読みくださりありがとうございます。
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