さようなら、全てのカスハラカリメロ。【紫京院瑞姫】
先日はトレアカ、ありがとうございました!
私はトレメンドスの劇団員の立場である以上、トレアカというイベントでも、一緒に教わる、ではなくて、導く、的な役割が本来のものだとずっと思い込んでいて。
でも、アサーション・トレーニングの実践で、私にそんなたいそうな役割があるという思い込みは傲慢で、確かに私には英傑の物語を選んだ責任があるけれど、私は実際女に導かれ、与えられながら生きているのだという当たり前っちゃ当たり前かもだけど、そんな当たり前の真実に気がついたよ、やっと。というお話です。いつも、本当にありがとう。
自伝書いて、稽古して、ピンチヒッターでリーブラでミニ公演して、本公演やって、デザフェス出て、トレアカやって、配信して、という『UNION 2.0』大プロジェクトが大団円を迎え、(配信は本日【23:59】までです!!一度でも多くご覧ください。女の命の結晶です。私自身もよく観返します。私たちの人生とときめきの詰まった宝箱、その目で焼き付けて、真実に目を開いてほしいです)
『UNION 2.0』2025年7月1日(火)本番映像(PDF版上演台本あり) ¥4,000
『UNION 2.0』2025年7月1日(火)本番映像(PDF版上演台本なし) ¥3,500
最近は本公演稽古がなく時間が出来たというタイミングと、アサーショントレーニングという題材がかけ合わさって、自分を変えよう、と一言で言えばチープかもしれないけれどそんなフェーズにいる。
自分の話にはなるのだけど、私がよく自分のことをカリメロと言ったり、みんなから言われるのは、「カリカリしてる」時のことを指す。
店員さんとか電車とか街中で、例え自分に非があってもなくても、まあ相手に非がなくても、仮にあったとしても過剰に怒りを表出してしまう。カスハラなんかがいい例だ。
最近、まじで意味がないなというか損するから無駄だしなんなら自分にとってマイナスで、何のメリットもなさすぎる、というところにぶち当たって、なんかもう一旦カリメロはいいや。と思った。諦めに近いし、カリカリしたりカスハラすることは、「世界が自分のために変わってくれる」ことに期待して腕押ししていたのだと思う。でも変わらない。自分は世界を、そしてそれを構成する他者、そして、今の自分を形作る過去を、なんとかしてもらえる、変わっていただけるという姫の姿勢があるからこそ、変わってもらおうとカスハラという「fight」の形をしたお願いに出てしまう。
最近の例だと、